本:放射線被曝の歴史-アメリカ原爆開発から福島原発事故まで
“今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクはやむをえないもので、受忍すべき ものと思わせるために科学的装いを凝らして作った社会基準であり、原子力開発の推進を政治的・経済的に支える行政手段なのである。”(本文より)
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“今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクはやむをえないもので、受忍すべき ものと思わせるために科学的装いを凝らして作った社会基準であり、原子力開発の推進を政治的・経済的に支える行政手段なのである。”(本文より)
吉見俊哉.2012.夢の原子力 Atoms for Dream.東京:筑摩書房 福島第一原発事故以降、ドワイト・アイゼンハワー元米大統領による「アトムズ・フォー・ピース」(平和のための原子力)政策が日本の原子力政策に与えた影響について様々な研究が行われてきた。著者の吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授)は、本書でこの「アトムズ・フォー・ピース」という米国の世界戦略を日本に暮らす人々が受容していくプロセスを描いている。 本書の問いは次の通り。「アメリカの世界戦略としてみれば「アトムズ・フォー・ピース」として語られ、表現されたことは、同時代の日本の諸地域、諸階層、諸世代、異なるジェンダーの人々からみたときに、いかなる夢、すなわち「アトムズ・フォー・ドリーム」として経験されたのか。アイゼンハワーのしたたかな作戦の言語は、同時代の東アジアの旧帝国主義国、そしてまた敗戦国でもある列島に住まう人々のいかなる欲望の言語に変換されていったのか」(39頁)。 著者によると、日本による「夢」としての原子力の受容には、3つないしは4つのタイプの言説の操作が伴われていたという(288-291頁)。第一が「救済」という言説を伴った原子力の受容。「日本は広島と長崎の被爆により、原子力の軍事利用の悲惨さを身をもって経験した。まさにそうであるが故に、日本人はこの原子力の軍事利用に反対し、平和利用を推進しなければならないのだという主張」(288頁)である。第二が「成長」という言説を伴った原子力の受容。資源が乏しい上に敗戦国である島国日本が、経済を成長させるためには原子力のような「夢」のエネルギーが必要不可欠だという「生産力主義の主張」(289頁)である。第三に「幸福」という言説を伴った原子力の受容。原子力は便利で豊かな生活をもたらすというイメージの中で、「何らかの論理によって「夢」の受容が正当化されるのではなく、「夢」そのものの圧倒的な魅力によって過去を忘れ去り、原子力的な「暖かさ」のなかに自分たちの生活を浸からせていくことが正当化される」(290頁)というもの。最後に、70年代半ば以降になると「原子力が「クリーン」で自然と「調和」したエネルギー」(291頁)であるという言説が登場したという。本書の構成は以下の通り。 序章 放射能の雨 アメリカの傘 第I章 電力という夢―革命と資本のあいだ 一 革命としての電気 二 電力を飼いならす 三 総力戦と発電国家 第II章 原爆から原子力博へ 一 人類永遠の平和と繁栄へ 二 列島をめぐる原子力博 三 ヒロシマと原子力博 四 冷戦体制と「原子力の夢」 第III章 ゴジラの戦後 アトムの未来一 原水爆と大衆的想像力 二 記憶としてのゴジラ 三 ゴジラの変貌とアトムの予言 終章 原子力という冷戦の夢 あとがき 参考文献 本書は一般の読者向けに書かれているものの、福島第一原発事故の原因について様々な見地から詳細に説明している。高校生以上のテキストとしてのぞましい。 –Yasuhito Abe, University of Southern California
Sekigawa, Hideo. 1953. Hiroshima. Feature Film. Hiroshima begins with a scene in a middle school classroom in 1953 where students’ misunderstandings of radiation and leukemia have led to discrimination against victims. By foregrounding issues of discrimination and the lack of
広島と長崎への原爆投下後、放射線の遺伝影響研究はABCC(原子爆弾傷害調査委員会)の中心課題となった。スーザン・リンディーはアメリカの原爆調査の歴史を検討した著書 Suffering Made Real: American Science and the Survivors at Hiroshima 第4章でABCC の遺伝研究に焦点をあてている。
Jacob Hamblin, “‘A Dispassionate and Objective Effort: Negotiating the First Study on the Biological Effects of Atomic Radiation,” Journal of the History of Biology 40, no. 1 (March 2007): 147-177. In this article Jacob Hamblin examines the history of the
原爆投下から原爆医療法ができるまでの期間は被爆者にとって暗黒の十年であったといわれる。このうち七年間、日本はアメリカ軍に占領されていた。本書はこの時期に何があったのかを被曝者を対象とした原爆調査の歴史から検証し、原爆加害国であるアメリカに協力していった原爆被害国日本の加害性を問うものである。
Footage from the following three short newsreels were selected in order to show the prevailing anti-nuclear sentiment in parts of the Japanese public during the 1950s and 1960s. At the height of the protests against the Treaty of Mutual Cooperation
United States War Department. 1946. Tale of Two Cities. YouTube video, 12: 03 min, posted by “nuclearvault,” Sep 5, 2009, http://www.youtube.com/watch?v=hPvYw9cm8GY This short 12-minute film, produced by the U.S. War Department, begins with the Trinity nuclear test in the desert of