中尾麻伊香.「近代化を抱擁する温泉 : 大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割」、『科学史研究』52 (2013): 187-199.

41LJrpOLYGL._SL160_著者の中尾麻伊香氏は、科学技術(特に原子力)に関する言説や表象の歴史研究を専門とする科学史家である。原子力に関する科学的知見がメディアの中でどう表象されてきたかを、戦前期からの連続性・不連続性を踏まえて研究しようとする著者のアプローチは、既存の科学史研究に新たな地平を開くばかりでなく、3.11後我々が直面する事態について考える上でも大きな可能性を秘めている。

今回著者が着目したのは大正期のラジウム温泉ブームである。そこでは勃興期の放射線医学が大きな役割を果たしていた。近代日本において西洋由来の科学知識と日本古来の温泉信仰はどう相互作用していたのだろう?

日本の温泉においてラジウムが発見される際に大きな役割を果たしたのは、東京帝国大学の眞鍋嘉一郎(医者)と石谷伝市郎(地質学者)の2人である。1915年には陸軍軍医団が全国主要温泉のラドン含有量調査を行うに至り、森林太郎(森鴎外)編集の冊子『日本鉱泉ラヂウムエマナチオン含有量表』が発行されるなどしている。

一連の調査活動によるラジウムの発見と効能の指摘は、社会におけるラジウムブームにつながった。最初期にラジウムが発見された温泉地・熱海は、モダンな温泉地として知られていた。それは、ラジウム発見の背景にある最先端の科学としての放射線医学のイメージと共鳴した。また東京・京橋にはラヂウム樂養館というモダンなイメージを前面に押し出した施設が出現し、ラジウムブームはラジウム自体が持つ実際の効能と乖離するかの様にそのイメージを増幅させていった。

温泉と放射線医学の関係において筆者が特に注目するのは、福島県にある飯坂温泉である。1927年に出版された『飯坂湯野温泉遊覧案内』では、「春は全体櫻花に包まれ、梨花に覆われ、桃花に飾られ(中略)斯の如きは海内は固より未だ全世界に多く其の比を見ざる所にして正さにラヂウユーム、エマナチオンの作用する所、實に我が飯坂温泉独特固有の美装である」と記述された。ラジウムに関する言説は医学的見地に基づく説明を離れ、飯坂の地に根付いた「精霊としてのラジウム」が景観にすら影響を及ぼしているとまで語られる様になっていった。

近代科学としての放射線医学は一方向的に受容されただけでなく、温泉地というcontact zoneにおいて温泉地固有の文脈のもとで解釈された上で、温泉地発展を欲する地方の社会経済的背景の中で繰り返し用いられていったのである。放射線医学の知見の成果としてのラジウムを「抱擁した」温泉の歴史は、福島の原子力ムラが「原子力最中」や「回転寿しアトム」といったブランド・文化を作り上げることで原子力を「抱擁」していった過程とも軌を一にしているといえよう。

本論文は、戦前期の日本において放射線に対する科学的知見と人々の生活や社会がどのように関連していたのかを示す歴史学的な事例研究である。本論文が示す「科学的知見は社会のさまざまな文脈において必要とされ、増幅・変容していく」という現象について学ぶことは、現在我々が直面している状況を考える上でも非常に有益な示唆を与えてくれるものと思われる。学会誌に投稿された論文であるため、大学生以上向けの教材として用いるのが望ましいだろう。

-Kosuke Moriwaki, The University of Tokyo

記事:近代化を抱擁する温泉ー大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割 (2013)
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