開沼博(2011)『「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたのか』青土社

本書は日本の原子力の分析を通して日本の戦後成長における地方の自発的服従の歴史的形成過程を考察した学術書である。著者は、原子力を地方に導入したい「中央」とその原子力を受け入れ維持したい「地方」によって構成される原子力ムラという概念を提示しながら、「戦後成長の基盤」としての原子力(経済)「地方の統治装置」としての原子力(政治)「幻想のメディア」としての原子力(文化)という視座から、戦後日本における原子力を分析している。原子力ムラには、行政・電力産業・政治家・学者・マスメディア・反・脱原発団体などを含む「中央の側にある閉鎖的・保守的な原子力行政」などで構成されたムラ(<原子力ムラ>と表記)がある一方で、「地方の側にある原発および関連施設を抱える地域」によって構成されたムラ(「原子力ムラ」と表記)が存在する。著者によれば、原子力の導入を通して自国のエネルギー資源の確保を目指す<原子力ムラ>(中央)と原子力を受け入れることを通して故郷の永続的発展を望む「原子力ムラ」(地方)という二項対立的な構造の中で、原子力が2つの構造をつなぐ媒介としての役割を果たすことを通して戦後の経済成長が達成されたという。加えて、著者は戦後の経済成長の過程において「原子力ムラ」(地方)がマスメディアに映された自らの「欠如」を自覚し、愛郷的精神からその「欠如」を埋め合わせるために自発的に原子力を受け入れていったと指摘する。しかし、「原子力ムラ」による原子力の自発的な受け入れが皮肉なことに「原子力ムラ」(地方)を「原子力ムラ」(地方)として固定化してしまったという。本書は著者が東京大学大学院学際情報学府修士課程に提出した修士論文をもとにして出版され、第65回毎日出版文化賞(人文社会部門)を受賞した。構成は以下の通り。

 序章  原子力ムラを考える前提―戦後成長のエネルギーとは

第一章 原子力ムラに接近する方法

第二章 原子力ムラの現在

第三章 原子力ムラの前史―戦時~一九五〇年代半ば

第四章 原子力ムラの成立―一九五〇年代半ば~一九九〇年代半ば

第五章 戦後成長はいかに達成されたのか―服従のメカニズムの高度化

第六章 戦後成長が必要としたもの―服従における排除と固定化

終章  結論―戦後成長のエネルギー

補章  福島からフクシマへ

補章は福島原発事故発生以降に追加された。著者はここで福島原発事故以降における脱・原発運動の問題点について次のように指摘する。「原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない。そして、その圧倒的なジレンマのなかに原子力ムラの現実があることが「中央」の推進にせよ反対にせよ「知的」で「良心的」なアクターたちによって見過ごされていることにこそ最大の問題がある。」(372-373頁)

本書は、戦後日本において原子力が果たした役割に加えて福島原発事故の原因について詳しく説明している。もともと修士論文として書かれた作品なので、大学生以上のテキストとしてのぞましい

– Yasuhito Abe

本:「フクシマ」論 (2011)
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